脳細胞を活性化させるスリムな家
毎日見ていた風景だが、観てはいなかったのだろう。ある日突然、この物件が吾輩の目に飛び込んできた。思わずニンマリしてしまう家なのだ。ウ〜ン、観れば観る程、これほど面白い家はないと思うのだが。
防地口の交差点東側に国道2号線と路地に挟まれた台形敷地に目いっぱい建てられたスリムな家がある。車窓からの眺めでは、その面白さに気付く人はいないだろう。それにしても建物の中は一体どうなっているのだろうか。どんな構造になっているのか、興味津々である。二階に上がるには階段がいる。階段があるとすれば、建物の半分は階段に占拠される。それとも階段に工夫があるのか。この建物はついつい観る者の脳細胞を活性化させるに違いない。
「家」は住人の趣向によってそのスタイルが決定されるものだが、決定されたスタイルの「家」がこんどは住人のライフスタイルを決定づける。そんな[ソフトとハードの関係論]というべき思考回路が、吾輩の脳みそを刺激する。このお家にお住まいの方の日常のライフスタイルについて大いに興味が湧くところだ。
実測をしたわけではないが、家の奥行き幅が狭い側面壁で1.5mくらい、広い側面壁でも3mくらいのこの建築物、じっくり観察してみると二つの建物が合体している。言い方を変えると、増築されたような跡が観察できるのだ。
吾輩のギョロギョロ目玉を左右に動かし、口ひげをピクピクさせながら、ときにはズームで被写体に大接近。タウンウォッチングには、実に面白い発見がある。(2007年3月)
防地口が6+2の多差路とは歴史都市の証
超スリムな2階建の家の西側すぐ横の交差点が、防地口(ぼうじぐち)である。この防地口という名は、昭和7(1934)年この交差点の下に暗渠となった防地川から由来している。防地川を遡ると江戸時代の西國街道では防地通りから防地峠を越え、芸州広島藩と備後福山藩の境目にある番所跡に至る。防地川の下流は、現在では爽籟軒(そうらいけん)庭園に沿い海岸通りに突き当たる車道(川端通り)の暗渠ともなっていて、1902(明治35)年に洋食屋として創業した料亭旅館「竹村家」の西側にあるポンプ場の樋門から尾道水道(海)に流れ出ている。
2006年8月の爽籟軒庭園整備工事で、防地口交差点南側にあった樹田タバコ店が解体され風景が変わった。現在、山上サイクルモーターと樹田タバコ店の間にあった井戸が当時の姿のまま残っている。北側では、防地通りと浄土寺道の二つの鉄道ガードの間の交差点脇に設置されていた石柱に埋め込まれた時計が、防地通りのガード下に移設されている。
この交差点は6差路で、別に加えたくなる2差路(尾崎本通りと名もない路地)が繋がっている。多くの道が無計画に交差するのは、尾道が歴史都市であるという証だろう。(2020年1月1日)